あたまのなかの だいばくはつ!▼

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あなたの取っ手

何事であっても興味のあることや面白いものには集中することができます。趣味や恰好はその表れでもあります。仕事でも自分がやりたいものには自然と力が入るものです。

学校の勉強は嫌いなものの代名詞ですが、中には自分の興味関心を刺激するものが含まれていたと思います。自分の場合それは「図工」と「国語」と「社会」でした。

図工、美術は大好きで、得意分野のうちの一つでした。物心つく前から絵を描いていて自分にとっては周りの人と張り合える唯一の武器でした。毎年写生会や夏休みの交通安全ポスターには張り切って取り組んでいました。年に一回地域の子が書いた作文を集めた文集の目立つ場所に自分の描いた絵が載った時には大はしゃぎしました。今でも絵を描くことは大好きで、やはり自分が誇れる唯一のものであることには違いはありません。

小学校に入ってから今月に高校を卒業をするまでに国語の勉強をしなかった時は全くありません。それ程僕たちと国語は、長く大切な付き合いってことです。僕は毎年新しい教科書が配布されるとすぐに家に持ち帰り隅から隅まで読み込みました。決して復習の意味はありません。ただ単純に内容が面白かったです。載っている話はどれも心温まったり、考えさせられるものばかりです。国語の教科書は自分の持っている本の中で一番の良書です。あんなに考え抜かれ内容がありなおかつわかりやすく編集されている本は他を探しても滅多にお目にかかることはできないでしょう。僕が一番好きな作品は「せかいいちうつくしいぼくの村」です。これはとある少年が父親と一緒に市場にさくらんぼを売りに行くお話です。この話にでてくる人は全員心がきれいな人なんだ。まっすぐな主人公や、さくらんぼを買ってくれる足の無いおじさんやおとうさん。読むとこっちまで優しい気持ちになれます。自分の周りの人がみんなこんな人だったらなぁ、自分もこうなりたいなぁって。そして最後のページには当時度肝を抜かれました。楽しい気持ちが一転、虚無感に包まれます。教科書は検定制で出版社の数だけありますので内容も様々です。しかし何処かで取り上げられた作品は別のところでも取り上げられる可能性は十分にあります。実際「羅生門」や「走れメロス」は載っていない教科書のほうが少数です。国語の教科書の内容は日本で暮らす人の共通の話題、共感と言っても過言ではありません。

社会は自分の想像(妄想)を表す格好の的でした。歴史の授業を受ければその当時の人の暮らしぶりや、偉人の性格や恰好ばかりを想像していました。過ぎたことやあったことの無い人物を学んで何が楽しいと思う人もいますが、自分はそこが一番楽しいのです。自分にとっては頭のなかで人形遊びをしている感覚です。その妄想がフルに発揮されるもの、それは地図帳でした。そこに何があるのか、標高はどれくらいか、そして地名。地図帳に書いてあるのはどれも無機質な情報だけでしたがそれが自分にとっては最高の環境でした。「ここには家が密集しているから団地だろうけどどうなっているのか」「自分が家を建てるとしたらどこがいいんだろう」「ここからだったら町が展望できそう」世界地図を見たときは頭がパンクしそうでした。人種や気候、他にも自分が知らない事象が絡んでくるんだからもう想像がつきませんでした。自分の想像力が鍛えられ、妄想癖が激しくなった原因はこの社会科の授業で間違いはありません。

自分のことを知るために学生の時に好きだった教科をおもいだすことは非常に効果的です。何たってその人の性質をハッキリと表していますからね。それは自分だけでなく他の人にも当てはまります。好きなものやジャンルはその人を良く表す。自分はそう信じています。

読んでいただきありがとうございました。